2014.11.10
- 活動報告
教育後援会 懇親事業『祇園御霊会と山鉾風流』 開催報告
2014年7月5日14:30~16:00、友愛館の多目的ホール・Agora(アゴラ)で、懇親事業を開催いたしました。懇親事業は会員間の親睦を深めていただく目的で開催、近年は京都の芸術・文化に関する講演会や見学会を行い、ご好評をいただいております。本年は約90名の方に参加いただきました。
今年度のテーマは祇園祭です。講演タイトルの「祇園御霊会」は祇園祭の元の姿を言い表す正式な名称で、「山鉾風流」は山鉾(註1)を彩る装飾を指します。講師は祇園祭山鉾連合会理事長の吉田孝次郎さんにお願いしました。吉田さんは祇園祭の舞台である鉾町(註2)にお生まれになり、町衆(註3)として祇園祭を支えて来られました。現在は山鉾連合会を先導し、祇園祭の振興と伝承に献身されています。2014年に祇園祭は49年ぶりの前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)の復活、150年ぶりの大船鉾(おおふねほこ)巡行などで往時の姿に近づく形で復興し注目を集めましたが、吉田さんはこの取組みにも尽力されました。また、吉田さんは、山鉾をきらびやかに彩る染織懸装品に精通し、長年収集と研究を行っておられます。当日は祇園祭の起源や歴史、古今東西の美を競う懸装品についてお話しいただきました。
最初に、現代の祇園祭の様子を紹介する映像を鑑賞し、吉田さんの講演がスタートしました。時は9世紀まで遡ります。当時平安京には毎年のように疫病が流行していました。「川が氾濫して、土地に水が流れ込み、水たまりができる。その泥水に日光が当たると微生物が繁殖します。その水を飲んだらどうなるでしょうか…」身振り手振りを交え、全身を使って力強く語る吉田さんのお話に、会場は一気に引き込まれました。
祇園祭は、疫病退散を祈願して行った869年の祇園御霊会が起源だと言われています。この年は全国的に疫病が流行しました。そこで平安京の人たちは当時の行政区分66カ国の数にちなみ、66本の鉾を立て、全国の安穏を神に祈りました。今では30万を超す観光客で賑わう華やかな祇園祭ですが、それが平安を願い、神様に祈る思いから生まれたことをあらためて学びました。
現在のような山鉾に近い形が見られるようになったのは14世紀頃。お話は徐々に祭を彩る装飾品の細部に迫ります。スライド資料の解説は、古来の屏風絵や巻物に残る山鉾の絵に注目することからスタートし、後半ではさまざまな染織懸装品の現物画像を一つひとつクローズアップしていただきました。安土桃山時代に山鉾を飾っていた虎や豹の毛皮は、神の目を惹くために用いられたのだそうです。また、徳川幕府に献上されたと思われる絨毯が、山鉾の懸装品の一つとして発見されたミステリー。続いては獅子舞や昇龍の解釈、トロイア戦争物語の一場面やアラビア文字等の異国的なモチーフの紹介など、「動く美術館」とも称される山鉾を彩るお話が次々に展開しました。懸装品それぞれに、時代を映す物語があり、町衆の創意工夫と心意気が込められていることがわかります。夢中になって聴講していると、あっと言う間に時間が過ぎました。
祇園祭に理解を深め、知見を得る、非常に充実した講義でした。後日祇園祭に足を運ばれた参加者の方も、今年は新しい視点で楽しまれたのではないでしょうか。本年もご来場ありがとうございました。
来年度の懇親事業も皆様の興味・関心があるテーマで企画したいと考えております。ご意見・ご要望がございましたら事務局までお寄せください。
註1)神社の祭礼に引かれる屋台の飾り物の一つ。車の台の上に家や山などの作りものを設置し、その上に鉾などを立てたもの。
註2)祇園祭に山鉾を出す各町内のこと。現在も山鉾は各町で維持保存されている。
註3)室町時代に京都などの都市で自治的な共同体を組織・運営した人々で、特に、酒屋・土倉などの、裕福な商工・金融業者。応仁の乱後の京都復興における重要な階層で、民衆文化の担い手となった。現代の京都においてもその心意気を受継ぐ町の人々をそう呼ぶことがある。